当研究室は、純粋な有機物から遷移金属錯体まで多岐にわたる「分子」を構成成分とする、機能性物質、特に超伝導体を含む電気伝導体の開発を行っている。分子性導体は、みかけの複雑さに反して、明快で見通しの良い電子構造を持つ。その多様な物性は、低次元性、強い電子相関、格子の柔らかさなどに由来している。分子性導体では、多様な分子修飾が可能であり、分子修飾による物性の精緻な制御が可能である。我々は、分子集合体の物性を合成化学的手法で制御することによって新しい物質を創造し、分子の特性を反映した新しい機能や現象を見いだすことを目指している。
(2) 超高圧下における単一成分分子性結晶[Ni(dmit)2]の電気的性質(崔、圓谷、加藤;宮崎) (3) Multiple Bandを有する白金dmit系分子性導体(野村、圓谷、崔、Abdel Jawad、Guilhem、大島、加藤) (4) Pd(dmit)2塩の誘電特性(Abdel Jawad、加藤;田嶋(尚)) (5) EtMe3P[Pd(dmit)2]2におけるモット転移の臨界性(Abdel Jawad、加藤;田嶋(尚)、渡邊、石井) (6) 第一原理計算による(Cation)[Pd(dmit)2]2の構造と電子状態(圓谷、加藤;妹尾、土射津、宮崎) (7) bi-layer構造を有する新奇なNi(dmit)2アニオンラジカル塩の開発(草本、大島、加藤;山下(智)、山本(浩)、田嶋(尚)) (8) 分子性導体(Me-3,5-DIP)[Ni(dmit)2]2における異常ホール効果(加藤; 田嶋(尚)、田嶋(陽)、高坂、山本(浩)) (9) フェロセン-TTF融合ドナーを用いた新奇な分子性磁性伝導体の創成(草本、加藤) (2) 自己組織化プロセスを用いた単分子膜モットFETの開発(須田、加藤;山本(浩))
金属−ジチオレン錯体は、伝導性や磁性の観点から非常に興味深い物質群である。その特徴の一つは、HOMOとLUMOのエネルギーが小さい点にある。単一成分分子性金属の実現もこの性質に由来する。また、Pd(dmit)2 (Scheme)のアニオンラジカル塩では、この性質と強い二量体形成とが相まって、HOMOとLUMOの準位交叉が起こり、軌道の自由度が物性に反映される。 (1) 分子性導体β'- Pd(dmit)2混晶塩におけるスピン液体状態 研究担当者:加藤、崔、上田、山下(穣);山下(智)、山本(浩)、田嶋(陽)、田嶋(尚)、石井、福永、久保 金属錯体Pd(dmit)2のアニオンラジカル塩β'-EtxMe4-xZ[Pd(dmit)2]2 (Z= P, As, Sb; x = 0, 1, 2) は、二量体[Pd(dmit)2]2-が三角格子(近似的に二等辺三角形)を形成し、電子相関とフラストレーション、さらに軌道の自由度が生み出す多様な物性が観測されるMott系である。常圧ではMott絶縁体であるが、対カチオンに依存して、三角格子の異方性(t'/t; t, t'は二量体間の遷移積分、図1)が変化し、その基底状態も多様に変化する。例えば、Z=Sbの場合、Me4Sb→EtMe3Sb+Et2Me2Sbと対カチオン中のエチル基の数が増加するにしたがって、二量体の格子は正三角形(t'/t=1)に近づき、基底状態は反強磁性秩序→量子スピン液体→電荷秩序(2[Pd(dmit)2]2- → [Pd(dmit)2]20 + [Pd(dmit)2]22-)と変化する。量子スピン液体相の熱容量と熱伝導率の温度依存性には、この物質が絶縁体であるにもかかわらず金属(フェルミ液体)と同様に、温度比例項γTが存在する。これは、最低励起がギャップレスであることを意味している(一方、13C-NMRのスピン−格子緩和率は、ノードのあるギャップの存在を示唆している。しかし、磁場を弱くすると「ギャップ」が生じる温度は低温側へシフトしていく)。本研究では、三角格子の異方性を精密に制御して相境界における物性を明らかにするために、これらの混晶を作製し、その物性を検討している(図1)。 得られた混晶系における、結晶内でのカチオン比は、単結晶1個を溶解させた溶液に対して質量分析(ESI法)を行うことで、結晶1個ごとに決定した(図2)。結晶間の混晶比のばらつきが1%程度の均質なものであった。格子定数の混晶比依存性は、二種のカチオンの平均個数の変化が異方的化学圧力として作用していることを示している。 昨年度までに、EtMe3Sb塩(量子スピン液体)と、Et2Me2Sb塩(電荷秩序)およびMe4Sb塩(反強磁性秩序)との混晶系を系統的に合成し、その物性を評価した。EtMe3Sb+を含む混晶は、混晶化によって異方性(t'/t)をEtMe3Sb塩に近付けることで、急速に電荷秩序転移、磁気秩序転移温度が低下し、スピン液体様の振る舞いが見いだされることを報告してきた。EtMe3Sb+を含む混晶上での量子スピン液体様の振る舞いが、異方性(t'/t)で制御されたフラストレーション電子系の本質的性質であるか、それとも、EtMe3Sb+カチオンの偏在や、カチオンの混合による乱れの効果などによるものかは、未だ明らかでない。そこで新たに、 (1)異なるネール温度TNを与える、Me4As塩(反強磁性秩序: AFLO)と、Me4Sb塩(反強磁性秩序)の混晶系と、(2)Et2Me2As塩(反強磁性秩序)と、Et2Me2Sb塩(電荷秩序:CO)の混晶系を合成し、その物性を評価した。(1)15 KにTNを持つMe4Sb塩に、35 KにTNを持つMe4As塩を混ぜて行ったところ、組成にほぼ比例して、TNが変化した。Me4Sb塩にEtMe3Sb塩を混ぜた時に、TNが急激に低下して量子スピン液体が実現したことと対照的である。量子スピン液体近傍のTNの急激な低下が、カチオンの混合による乱れの効果などによるものではなく、電子状態を反映したものであることを示唆する。(2) EtMe3Sb+カチオンを含まないEt2Me2As1-xSbx [Pd(dmit)2]2混晶塩でも、異方性(t'/t)を適切に制御することで、量子スピン液体が実現した。磁化率測定によると、0.25≤x≤0.65の領域では、AFLO、CO転移ともに検出されなかった。この混晶比の領域では、量子スピン液体特有のギャップレス励起を示す熱容量の温度比例項 項も観測され、量子スピン液体状態が発現しているものと理解され、三角格子の異方性制御によって量子スピン液体が実現していることがわかった。 また、これらのPd(dmit)2塩の熱容量には、1 K以下に対カチオンのプロトン(-CH3ローテーション)由来と考えられる異常が存在し、極低温での電子スピン熱容量の決定が妨げられていた。カチオン内の水素原子を完全に重水素に置換した混晶塩を合成し、現在熱容量測定を進めているところである。これによって純粋な電子スピン熱容量をとらえることが可能になると期待される。 極低温までの量子スピン液体状態の素励起を求めるため、希釈冷凍機温度までの熱伝導率測定と磁気トルク測定を(Me4Sb)1-x(EtMe3Sb)x混晶塩に対して行った。磁気トルク測定から混晶比xが0.50の試料について純粋なEtMe3Sb塩と同様のギャップレスの磁気励起を確認した。一方、低磁場側の領域において不純物の影響を示唆する急激な磁化の立ち上がりを観測した。混晶塩の熱伝導率測定もギャップレスの磁気励起が観測されたが、純粋なEtMe3Sb塩と比べると平均自由行程が短くなっており、磁気トルクと同様の不純物の影響を示唆するものである可能性がある。 ( dmit= 1,3-dithiole-2-thione-4,5-dithiolate )
(2) 超高圧下における単一成分分子性結晶[Ni(ddt)2]の電気的性質 研究担当者:崔、圓谷、加藤;宮崎 [Ni(ddt)2]の単結晶は、(n-C4H9N)2[Ni(ddt)2]から室温においてアセトン中でヨウ素酸化することによって作成した。結晶内では [Ni(ddt)2]分子が強いダイマーを形成し、ダイマーがb軸方向に積層し、Ni…Ni距離は3.0798Åである(図)。そのため、高い圧力を印加するとHOMOバンドとLUMOバンドのバンド幅が各々拡がり、両者が重なることによって新しい金属状態が実現すると考えられる。高圧下での電気抵抗率の測定は、ダイアモンドアンビルを用い、圧力媒体としてDaphne Oil 7373、10μmの金線と金ペイントを用いて4端子を配線して直流法で行った。[Ni(ddt)2]は常圧では半導体で、室温電気伝導度は0.004 S cm-1である。 電気抵抗率は加圧とともに著しく減少し、9GPaでは常圧に比べ四桁ほど小さくなり、温度変化が非常に小さい半導体である。さらに11GPaでは金属になり、25Kまで金属状態を保った。 ( ddt= 1,4-dithiin-2,3-dithiolato) [Ni(ddt)2]の分子および結晶構造 (3) Multiple Bandを有する白金dmit系分子性導体 研究担当者:野村、圓谷、崔、Abdel Jawad、Guilhem、大島、加藤 パラジウムジチオレン錯体Pd(dmit)2のラジカルアニオン塩は、常圧では通常モット(Mott)絶縁体であり、加圧下においては金属/超伝導状態を示す。この錯体分子の二量化によって形成されるエネルギーギャップ(二量化ギャップ = 2|tH| or 2|tL|)は、単量体のHOMO-LUMOギャップ(ΔE)よりも大きい(図1)。このため、二量体ユニット[Pd(dmit)2]2-の形成においては反結合性HOMOペアと結合性LUMOペアとのレベルの逆転が起こる。また、二量体[Pd(dmit)2]2-ユニットが二次元三角格子を形成し、その電子物性は、物理的外部刺激や化学修飾(化学圧力)などの効果により緻密に制御することが可能である。四級オニウムカチオンR4Z+を有する(R4Z)[Pd(dmit)2]2塩(R = Me, Et)においては、アルキル基Rを修飾することで基本的な結晶構造を変えることなく、二量体[Pd(dmit)2]2間のHOMO…HOMO遷移積分、つまり三角格子の異方性を制御できることがわかっている。一方、二量体内のHOMO…HOMOトランスファ積分(tH)に関しては、カチオン修飾の効果が小さい。しかし、tHの値を制御することは、上記の二量化ギャップあるいはHOMOバンドとLUMOバンドの重なりなどを制御できることを意味しており、2次元モット系分子性導体の緻密な電子物性制御のために重要な要素の1つである。我々は昨年度、Pd(dmit)2分子の中心金属を白金に変えることで、結晶の基本構造を保持したまま|tH|を効果的に小さくできることを見いだした。さらに、対カチオンのテトラメチルオニウムカチオンMe4Z+ (Z = N, P, As, Sb)の種類を変えることで、二量体[Pt(dmit)2]2内の|tH|はカチオンのサイズに対して柔軟に変化することも報告している。そこで今年度の研究では、エチル基を含む対カチオンおよびフッ素化された対カチオン(図1)をPt(dmit)2塩に導入し、その構造制御と物性、バンド構造について、以前行ったMe4Z+塩のデータと合わせて検討した。 対カチオンとしてEtMe3Z+ (Z = P, As, Sb)、Et2Me2Z+ (Z = P, As)および(FCH2)Me3Z+ (Z = N, P)を有するPt(dmit)2塩を、電解酸化あるいは空気酸化によって作成した(図2)。EtMe3P+塩の主生成物は空間群P21/mを有する結晶であり、2つの等価な伝導層を持ち、各層における分子積層方向は互いに平行である。一方、他のカチオン塩は空間群C2/cを有するβ、γあるいはβ'型の結晶であり、2つの伝導層は等価であり、立体交差型カラム構造である(図2)。また、作成したすべてのPt(dmit)2塩は対応するPd(dmit)2塩と同形であった。 結晶中における二量体[Pt(dmit)2]2内のPt─Pt距離は、P21/m-EtMe3P+塩の3.156Åが最も短く、β'塩の中では3.182Å(Et2Me2P+塩)から3.308Å(Me4P+塩)まで柔軟に変化することがわかった。それに伴い、二量体内遷移積分tHは、413 meV(EtMe3P+塩)から359 meV(Me4P+塩)まで幅広く変化する。一方、Pd(dmit)2の場合は、tHが436 meVから449 meVの比較的狭い範囲内で変化する(図3)。β'塩の中では、カチオンのサイズが小さいほどtHが小さくなることより、Pt(dmit)2のβ'-Me4P+およびβ'-Me4As+塩においては、その二量化ギャップが他の塩に比べて小さい。第一原理計算の結果、双方の塩においては反結合性HOMOペアと結合性LUMOペアのレベルが互いに接近し、HOMOバンドとLUMOバンドが重なったMultiple Bandを形成することがわかった(図1(a))。一次元性の強いLUMOバンドがフェルミ準位近傍に位置することより、β'-Me4P+およびβ'-Me4As+塩におけるMultiple Band由来のフェルミ面は擬一次元性を示す。一方、二量化が比較的強くMultiple Bandを形成しない他の塩においては、フェルミ面は二次元的である。以上の結果は、対カチオンの選択(化学修飾)により二量化ギャップ、HOMO-LUMOバンドの重なり、および次元性の制御が可能であることを示す。 今回得られたPt(dmit)2のβ'-EtMe3Z+塩およびβ'-Et2Me2Z+塩は、常圧下・高温領域において金属的振る舞いを示した。これらの結果は、以前報告したPt(dmit)2のβ'-Me4Z+塩(Z = P, As, Sb)の金属的挙動と類似している(図4)。すなわち、Pt(dmit)2塩の電気的性質は、常圧下モット絶縁体であるPd(dmit)2塩のそれとは大きく異なる。Pt(dmit)2塩は150-220 Kの範囲内で金属-絶縁体転移を起こすが、低温領域では電荷秩序状態を形成していることがわかった。また、その相転移温度は対カチオンの種類によって異なる。低温領域では中性の二量体[Pt(dmit)2]20とマイナス2価の二量体[Pt(dmit)2]22-が交互に並んだCheckerboard型の分子配列を示す(図5)。すべてのPt(dmit)2塩は数kbarの静水圧により絶縁化するが(図4)、これは圧力効果により二量化が強くなることで、モット絶縁状態に移行するものと示唆される。第一原理計算によって得られた圧力下バンド構造(β'-Me4P+塩)によると、二量化ギャップが大きくなることでMultiple Bandが個々のHOMOバンドとLUMOバンドに分離することを示唆している。また、一次元的なLUMOバンドがフェルミ準位から離れることで、HOMOバンドが形成するフェルミ面は二次元的になる(図1(b))。以上の結果は、物理的な圧力効果によっても二量化ギャップ、HOMO-LUMOバンドの重なり、および次元性の制御が可能であることを示す。 (dmit = 1,3- dithiol-2-thione-4,5-dithiolate) (a)β'-Me4P[Pt(dmit)2]2塩のバンド構造とフェルミ面、(b) 圧力下におけるβ'-Me4P[Pt(dmit)2]2塩のバンド構造とフェルミ面
(4) Pd(dmit)2塩の誘電特性 研究担当者:Abdel Jawad、加藤;田嶋(尚) β'- Pd(dmit)2塩の誘電特性を系統的に調べ、この種のダイマーモット絶縁体に見られる異常な誘電応答を検討している。この誘電異常の周波数および温度依存性は、リラクサー誘電体に見られる誘電分散と良く似ており(図)、分極がそろった領域が不均一に生じていることを示唆している。このような誘電異常は同じくダイマーモット絶縁体で、ダイマー間の相互作用にフラストレーションが存在するκ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3で最初に報告されており、これが多くのダイマーモット絶縁体に共通の現象であり、電気双極子モーメントの起源は二量体に内在する電荷の自由度であると考えている。 β'-型Pd(dmit)2塩では、双極子-双極子相互作用と電子相関効果との間に相関関係が見られるが、幾何学的フラストレーションがこの相関関係を弱めるように作用しているようである。また、直流および交流伝導率は緊密に相関しており、交流伝導率に、乱れのある固体で見られるようなユニバーサリティを示す振る舞いが見られる。 図:Me4P[Pd(dmit)2]2, Me4Sb[Pd(dmit)2]2, EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2の 誘電率(面間方向)の実部および交流伝導率の温度・周波数依存性。 (5) EtMe3P[Pd(dmit)2]2におけるモット転移の臨界性 研究担当者:Abdel Jawad、加藤;田嶋(尚)、渡邊、石井 モット(Mott)転移は、イジング(Ising)ユニバーサリティクラス(普遍性クラス)に属すると考えれている。これは、CrをドープしたV2O3における高温域での圧力掃引から求めた臨界指数(δ, β, γ)=(3,1/2,1)から検証されている。しかし、同様の測定を有機導体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clにおけるモット転移に対して行うと、臨界指数(δ, β, γ)=(2,1,1)が得られることが報告された。このような従来見られなかった臨界指数は、低温域で量子揺らぎが重要となることに由来していると考えられる。我々は、別のダイマーモット系EtMe3P[Pd(dmit)2]2において、温度一定で圧力掃引して電気伝導度を測定し、異常な臨界指数を見いだすことに成功した(図)。δ値は7/4に近く、βおよびγについては、さらに実験を重ねて値を絞り込む予定である。 図:EtMe3P[Pd(dmit)2]2の金属相における電気伝導のスケーリング。 ΔPは1次相転移境界線 (T<Tc)あるいはクロスオーバーライン (T>Tc)からの圧力差。 Δε は臨界温度からの温度差。 Gc は電気伝導の臨界値(T<Tc) (6) 第一原理計算による(Cation)[Pd(dmit)2]2の構造と電子状態 研究担当者:圓谷、加藤;妹尾、土射津、宮崎 金属ジチオレン錯体Pd(dmit)2のアニオンラジカル塩 (Cation)[Pd(dmit)2]2 (Cation= EtxMe4-xZ, x= 0, 1, 2, Z= P, As, Sb; Et= C2H5, Me= CH3)は、二量体 [Pd(dmit)2]2-を含むモット絶縁体である。カチオンの異なる一連のβ'型Pd(dmit)2塩に対し、密度汎関数理論に基づく第一原理計算手法を用いて、電子状態を調べた。これまで、カチオンの違いによりPd(dmit)2の二量体内と二量体間の構造が少しずつ異なり、この物質群のバンド幅やフェルミ面の異方性が制御されるということを拡張ヒュッケル法に基づくtight-binding近似計算と第一原理計算によるバンド計算で示してきた。今回、本研究では、電子構造に見られる異方性を定量的に評価するために、第一原理計算で得られたフェルミエネルギー付近のバンド構造へのフィッテイングから有効ダイマーモデルを構築し、二量体間の有効遷移積分を導出した。その結果、図1に示すように、3方向で遷移積分は異なる値を示し、いかなるカチオンに対してもダイマーの積層方向の遷移積分(tB)が一番大きいことがわかった。他の2方向は、反強磁性状態を示す物質においては、(積層方向に対し)横方向の遷移積分(tS)が斜め方向の値(tr)よりも大きいが、ネール温度が低い物質ほど、斜め方向の遷移積分の値が増加する。そして、量子スピン液体状態を示すCation = EtMe3Sbの周辺でこれら2つの値が逆転することがわかった。これらの傾向は低温構造を用いた場合にも当てはまる。実験的には、この領域では、スピン液体状態と反強磁性状態、電荷秩序状態との競合が起きている。以上の点から、(Cation) [Pd(dmit)2]2の描像として、一次元スピン鎖が2つの鎖間相互作用によってフラストレートしている系の可能性を新たに提案した。 さらに、これまで、この系では、HOMOとLUMOの準位差が小さいことと強い二量化によりPd(dmit)2分子のHOMOの反結合性ペアとLUMOの結合性ペアとが逆転し、フェルミ準位にかかるバンドはHOMO由来の軌道になっていると理解されてきた。今回、第一原理計算手法を用いて、そのバンドの局所状態密度、Kohn-Sham軌道、および、結晶中のPd(dmit)2二量体を孤立させた場合の分子軌道を求めた結果、Pdを挟んだ左と右のdmitリガンドで電子密度に偏りがみられることがわかった(図2)。これは、フェルミ準位にかかるバンドはPd(dmit)2分子のHOMOだけでなく、(対となるPd(dmit)2分子の) LUMOの混成があることを示している。このことは、固体中で二量体の対称性が低下していることと密接に関わっている。 (dmit= 1,3-dithiole-2-thione-4,5-dithiolate)
(7) bi-layer構造を有する新奇なNi(dmit)2アニオンラジカル塩の開発 研究担当者:草本、大島、加藤;山下(智)、山本(浩)、田嶋(尚) 我々は(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2がBi-layer Mott systemであり、30 K以下の温度領域ではスピン間相互作用が反強磁性的である層と強磁性的である層が共存していること、さらに1 GPaの圧力下、4 Kにおいて、大きな負の磁気抵抗(-75 % at 7 T)を示すことを明らかにしている。本年度はEt-4BrTの臭素原子をヨウ素および塩素原子に置換したカチオンを有するNi(dmit)2アニオンラジカル塩(Et-4IT)[Ni(dmit)2]2および(Et-4ClT)2[Ni(dmit)2]5(図1)を新規に合成し、その結晶構造、電子状態、伝導性および磁性を調べた。 (Et-4IT)[Ni(dmit)2]2は(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2と同形構造であり、bi-layer systemを形成していた。バンド計算および電気磁気特性測定の結果、この塩は両層ともにMott絶縁化状態にあるbi-layer Mott systemであることがわかった。磁気測定の結果、この塩の低温における強磁性的な磁気挙動は、(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2のそれよりも弱いことがわかった(図2)。我々は(強磁性を担っていると予想される)アニオンA層におけるアニオンの配列とスピン分極に注目した(図3)。その結果、この系が示す特徴的な低温磁気特性は、スピン分極に基づく強磁性相互作用と、分子間の重なりに起因する反強磁性相互作用の競合に起因することが示唆された。 (Et-4ClT)2[Ni(dmit)2]5はmono-layer構造を有し、(Et-4BrT)[Ni(dmit)2]2とは異なった結晶構造であった。結晶中ではカチオン上の臭素原子-アニオンの硫黄原子間のハロゲン結合のみならず、カチオンの硫黄原子とアニオンの硫黄原子間にも原子間接触が見られた。バンド計算および電気磁気特性の結果、バンド絶縁体であることが確認された。
(8) 分子性導体(Me-3,5-DIP)[Ni(dmit)2]2における異常ホール効果 研究担当者:加藤; 田嶋(尚)、田嶋(陽)、高坂、山本(浩) 分子性導体(Me-3,5-DIP)[Ni(dmit)2]2は、大きなフェルミ面を有する金属層とMott絶縁化による局在スピンを有する層とが単一結晶内に共存するデュアル機能電子系である。この物質の金属層フェルミ面は、宇治らのグループの量子磁気抵抗振動と角度磁気抵抗振動測定から、バンド計算結果とほぼ同じである。興味深いことに、内部磁場が約14Tもある。一方、磁化率は局在スピンによるキュリー・ワイス的な温度依存性を示す。 本研究では、この系の局在スピンが電気伝導性へ与える影響を調べることを目的にホール効果を測定した。その結果、以下に述べる異常なホール効果を観測した(図)。 @電子的なフェルミ面を有するのに、ホール係数は室温から低温まで正である。 A大きなフェルミ面を有する金属であるが、ホール係数は強く温度変化する。ホール係数からキャリア濃度を見積もると、低温では第一ブリルアンゾーンの約6%程度であり、この占める割合はフェルミ面の大きさと矛盾する。 一般に、スピンが関与した系では、ホール係数は通常のホール係数RH0と磁化率に比例したホール係数RAの重ね合わせで表される。面白いことに、この系も50K以上でRH=RH0+RAに従う。したがって、この異常なホール係数は局在スピンによると推察され、局在スピンと伝導電子との間の相関があることが期待される。 図:ホール係数の温度変化 (9) フェロセン-TTF融合ドナーを用いた新奇な分子性磁性伝導体の創成 研究担当者:草本、加藤 我々は、フェロセン(Fc)-テトラチアフルバレン(TTF)融合ドナーであるFcS4TTF(R)2が、置換基Rに依存した酸化還元挙動および電子状態を示すことを明らかにしてきた(図1)。本年度は、FcS4TTF(SMe)2、FcS4TTF(SMe)2のカチオンラジカル塩である[FcS4TTF(SMe)2](F4TCNQ)、およびFcS4TTF(CF3)2のジカチオンラジカル塩[FcS4TTF(CF3)2](BF4)2-(solvent)の単結晶X線構造解析および磁気測定を行った。その結果、[FcS4TTF(SMe)2]+カチオンでは、TTF部位が酸化されて、π-ラジカルとなっている一方、[FcS4TTF(CF3)2]2+ジカチオンでは、TTF部位のみならずフェロセン部位も酸化され、分子内にd-spinとπ-spinの両方が共存していることが明らかとなった。興味深いことに、これらのラジカル塩のスピン状態が、各々の分子構造に敏感に反映されていることがわかった(図2)。 図1:FcS4TTF(R)2の酸化還元挙動 図2:結晶中における各分子の構造とスピン状態。(a)FcS4TTF(SMe)2、(b)[FcS4TTF(SMe)2]+ 、(c)[FcS4TTF(CF3)2]2+ (1) モット転移近傍へと導いた分子性導体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clにおける電界効果 研究担当者:須田、加藤;山本(浩) 強相関分子性導体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Cl(κ-Cl)は、低温においてモット絶縁相に位置し、圧力の印加により超伝導相へとバンド幅制御型のモット転移を起こす。一方、我々はこれまでにκ-Clの薄片単結晶を用いた電界効果トランジスタ(FET)デバイスにおいて、電界効果によりバンドフィリング制御型モット転移が誘起されることを見いだした。本年度は新たに、バンド幅とバンドフィリングの同時制御により、バンド幅制御型モット転移近傍のκ-Clに対する電界効果測定を目的とした。フレキシブルなプラスチック基板上にκ-Clの薄片単結晶FETを作製し、基板の湾曲による歪み(圧力)効果と電界効果とを併用することで、歪み印加下における電界効果測定を試みた。基板上のκ-Clは、歪みの印加に伴う実効的負圧により、超伝導から絶縁体へと歪み誘起相転移を示した。続いて、歪み印加下における電界効果測定を行った。興味深いことに、本デバイスでは絶縁相のみでなく、モット転移過程で生じた超伝導相と絶縁相の混合相においても電界効果が観測され(図)、ON/OFF 比は10 %程度ながら、約280 cm2/Vs の非常に高いデバイス移動度を得た。さらに、この電界効果は外部磁場(7 T)に印加によってほぼ消失した。このことは、混合相中の部分的絶縁相に対するキャリア注入により、超伝導相のフラクションが増加していることを強く示唆する。今後は、注入キャリア数の増加などにより、電界誘起超伝導の実現を目指す予定である。 ( BEDT-TTF = bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene) 図:FETデバイスの模式図(左)およびモット転移近傍のκ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clに対する電界効果(右) (2) 自己組織化プロセスを用いた単分子膜モットFETの開発 研究担当者:須田、加藤;山本(浩) 一般に、有機FETデバイスにおいて電荷蓄積層は界面1~2分子層程度に留まる。一方で、有機単分子膜をチャネル層としたFETが実現されれば、電荷蓄積層の厚みはチャネル層と同程度となることから、ON/OFF比の向上やデバイス界面におけるトラップ準位の低減などデバイス性能の向上が期待される。こうした観点から、新たなモット転移型FETとして、BEDT-TTF誘導体およびアクセプター分子(TCNQ)からなる自己組織化単分子膜をチャネル層とした単分子膜モット FETの可能性に着想した。(BEDT-TTF)(TCNQ)結晶は室温付近にモット絶縁相を有するため、単分子膜化によるモットFETの実現が期待される。実際のデバイスは、Si++/SiO2上にギャップ電極を作製した後、基板をBEDT-TTF誘導体およびTCNQの混合溶液に浸漬することで作製した(図)。本デバイスは、室温(300 K)においてn型の電界効果を示し、2桁以上のON/OFF比と移動度:〜0.1 cm2/Vsが得られた(図右)。これらの値は(BEDT-TTF)(TCNQ)バルク結晶のFETと比較しても格段に大きな値である。通常のFETにおいて、単分子膜化による移動度の大幅な向上は予測されておらず、本デバイスにおいてモットFETが実現している可能性が期待されるが、現時点では明らかではない。今後は、ホール効果によるキャリア挙動の追求とともに、分子・デバイス構造の最適化を行い、単分子膜モットFET実現の可能性を検討する。 図:単分子膜FETの模式図(左)および300 Kにおける電界効果(右) 研究担当者:須田、加藤;田嶋(尚)、山本(浩) 我々は高圧下にある有機導体α-(BEDT-TTF)2I3で質量ゼロのDirac電子系を見いだしてきた。質量ゼロのDirac電子系は最近grapheneで大きな話題になっているが、これはgraphiteを一層だけにした特殊物質である。それに対し、 α-(BEDT-TTF)2I3は最初のバルクDirac電子系である。また小林(名大)らのバンド計算によると、α -(BEDT-TTF)2I3のDirac電子系はgrapheneとは異なり、Dirac coneが大きく傾いている。したがって、新しいタイプのDirac電子系が期待できる。本研究では分子性導体におけるDirac電子系の特徴を見いだし、その背景にある物理探索を目指している。 ディラック電子系の特徴の1つを磁場下で見ることができる。通常、磁場をかけると固体中の電子のエネルギーは、とびとびの値をとり、これをランダウ準位と呼ぶ。通常の導体のランダウ準位はEnLL∝nBと表されるが、ディラック電子系ではEnLL∝(|n||B|)1/2で記述される特別な構造をとるのである。しかし、この系はフェルミ準位が常にディラックコーンの接点にあり、これまでに十分なキャリア注入を実現する手法が見いだされていないために、ゼロモード(n=0)以外のランダウ準位は未だ観測されていないのが現状であった。 本研究では、以下の研究計画で述べる簡単な手法でキャリアをこの物質に注入し、ディラック電子系に特有の量子磁気抵抗振動と量子ホール効果を観測することに初めて成功した。 この物質は低温で、1層あたりのキャリア濃度は108 cm-2と非常に低い。ヘリウム液面上の電子濃度に匹敵する値である。したがって、わずかに負に帯電した基板に試料を固定しただけで、接触帯電法による正孔注入の効果を電気伝導性に検出されると期待できる。 実際、ディラック電子系の特徴である、ベリー位相πを含むSdH振動(図a)と充填率ν=±4(n+1/2)に半整数の因子が存在する量子ホール効果(図b)をそれぞれ観測することに成功した。 ( BEDT-TTF = bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene) 図 (a) SdH振動。(b) 量子ホール効果 研究担当者:田久保、加藤;田嶋(尚)、山本(浩) 我々は、電荷秩序状態を示す様々なBEDT-TTF塩に着目し、光励起による電荷秩序の融解という観点から光誘起相転移の研究を行ってきた。前年度までに、α-(BEDT-TTF)2I3、(BEDT-TTF)3(ClO4)2、(BEDT-TTF)5Te2I6、θ-(BEDT-TTF)2RbZn(CNS)4(fast cooling)の電荷秩序状態において巨大光電流を観測した。さらに、α-(BEDT-TTF)2I3薄片単結晶試料においてコンダクタンス変化とCTバンド近傍の透過率変化の同時測定を行い、α-(BEDT-TTF)2I3における巨大光電流は光誘起絶縁体-金属転移(PIMT)に起因することを明らかにした。今年度は、PIMTの発現条件を調べるため、同じ分子配列とサイト平均価数を持ち、電子-格子相互作用の異なる2つのBEDT-TTF塩((BEDT-TTF)3(ReO4)2、(BEDT-TTF)3(ClO4)2)において光照射時のコンダクタンスと透過率変化の同時測定を行った。電荷秩序形成に格子歪みを伴う一次転移系の(BEDT-TTF)3(ReO4)2はPIMTを示すが、格子歪みを伴わない二次転移系の(BEDT-TTF)3(ClO4)2ではPIMTは起こらなかった(図1)。これより、PIMTの発現には格子歪みが本質的な役割を担うことが明らかになった。また、(BEDT-TTF)3(ClO4)2における光電流は、図2に示すように励起光強度に対し閾値を示す。この非線形光電流は、光励起により生じるエキシトンが、高密度励起により融けるエキシトン-モット転移に起因すると考えられる。 また、我々は、分子性導体におけるテラヘルツ帯のスペクトル構造の解明および分子性導体では初めてとなるフォノン励起による光誘起相転移の発現を目指している(東京大学との共同研究)。具体的には、超伝導状態を示すκ-(BEDT-TTF)2[Cu(CN)2]Brを対象とし、テラヘルツ光による光誘起超伝導の研究を行った。テラヘルツ帯は、分子振動モードや超伝導に関係するモードなどが多数存在することが知られており、フォノン励起超伝導転移の励起光として有用である。本年度は、テラヘルツ分光測定用の大型単結晶薄片試料の作製およびテラヘルツ帯の分光測定を行った。温度の減少とともにテラヘルツ帯の透過率は減少し、金属的なDC伝導度を反映する結果となった。一方、超伝導ギャップ構造は透過率には現われないことが明らかとなった。 ( BEDT-TTF = bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene ) 図1(左): (BEDT-TTF)3(ReO4)2における(a) 透過率 (b) コンダクタンスおよび (BEDT-TTF)3(ClO4)2における(c) 透過率 (d) コンダクタンスの時間発展(40 K)。 図2(右): (BEDT-TTF)3(ClO4)2における光電流の励起光強度依存性(10 K)。 研究担当者:大島、崔、加藤 本研究ではFe3+などの局在3d電子や局在π電子を持つ分子性導体に注目し、電子スピン共鳴(ESR)を用いて局在スピンを反転させることにより 電子が感じる内部磁場を変動させ、π-d相互作用を起源とする物性(磁場誘起超伝導や巨大磁気抵抗など)を制御することに挑戦している。昨年度我々は磁場誘起超伝導を示す分子性導体λ-(BETS)2FexGa1-xCl4(x=0.5および0.6)においてESRおよび抵抗の同時測定を行い、ESR励起にともなう抵抗の変化を観測した。また、詳細な温度依存性をとり、ESRが磁場誘起超伝導相においても観測されることを発見した。これは磁場誘起超伝導状態が不均一な状態であることの証拠である。今回、我々は他の混晶塩(x=0.34)でも同様の振る舞いを観測し再現性を確認するとともに、x=0.5塩においてESRで使用するミリ波の出力依存性を評価することにより、純粋なスピン反転に依る磁場誘起超伝導状態の破壊であることを明らかにした。 (BETS = bis(ethylenedithio)tetraselenafulvalene) 研究担当者:大滝 5-ブロモ-9-ヒドロキシフェナレノン(BHP;図1)は分子内にO-H…O型の水素結合を有する零次元水素結合系であり、分子内水素移動により双極子モーメントのO…O方向の成分が反転する。この物質は水素体では相転移を起こさないが、重水素置換により約38Kで双極子モーメントが秩序化し反強誘電相に転移する。我々はこれまでに、フラグメント分子軌道(FMO)法による分子間相互作用の解析から、π-π相互作用とC-H…O型の分子間水素結合が分子の双極子モーメントを誘起すること、その誘起効果が水素の相対的な位置に対して大きく変動することを見いだした。さらに、FMO法の結果を用いることで双極子の誘起効果を効率的に取り込んだモンテカルロ法を開発し、それらが重水素体の転移温度に決定的な寄与をすることを明らかにしている。 本年度はBHPの同位体効果を調べるために、水素のトンネル効果を導入して上記のモンテカルロ法を量子モンテカルロ法へ拡張した。水素体と重水素体の混合比を変えてシミュレーションを行った結果、水素体では相転移が起こらず、混晶系では重水素体の場合と比較して転移温度が低下するという実験結果と同様の傾向が見られた。得られた転移温度を実験で得られている相図と比較したところ、水素体/重水素体の混合比に対する転移温度の減少率を実験結果と同程度の曲率で再現できていることがわかった(図2)。この結果は平均場理論では説明しきれない結果であり、本手法が(重)水素配置の秩序化と水素の量子効果との競合を適切に記述できていることを示している。
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