分子性伝導体の結晶格子は柔らかく,これまでも圧力をかけることによって,物性の劇的な変化や興味ある電子状態の出現が多数報告されてきました。この場合,圧力は圧力媒体(オイル)を介して等方的に試料に印加され,結晶格子は等方的に変形しています(「静水圧」と呼ばれています)。これに対して,最近,結晶をエポキシ樹脂の中に埋め込んで固め,その樹脂に1方向のみの圧力を加えて,埋め込まれた試料に異方的な格子変形を生じさせる方法が,アメリカと日本で開発されました。これは,分子性伝導体がエポキシ樹脂と同程度の硬さを持つため,試料とエポキシ樹脂とが一様な弾性体と見なせることを利用した巧妙な方法です。圧力を加える際,単に試料(とこれを埋め込んだエポキシ樹脂)をピストンで挟んで圧縮すると,試料は横方向にはポアソン効果で膨らみます。これを「1軸性応力」と呼びます。一方,エポキシ樹脂が横に膨らまないように樹脂全体を硬いシリンダーの中に入れて加圧すると,結晶格子を1方向のみに変形させる「1軸性ひずみ」を実現できます。これら2種類の異方的圧力は,各々異なった効果を与えるので,目的によって使い分けることができます。
異方的加圧は ,分子間相互作用を「意図的に」あるいは「選択的に」制御する非常に有効な手段です。その結果,異方的加圧は,静水圧では見られない新たな電子状態を発現させます。
以下に2つの例を示します。
有機πドナー分子DIETS (diiodoethylenedithiodithiadiselenafulvalene)とテトラシアノ金属錯体アニオン[Au(CN)4]-とで構成されたカチオンラジカル塩θ-(DIETS)2Au(CN)4では,ドナー分子がつくる2次元伝導層とアニオン絶縁層とが交互に配列しています。この物質は,常圧下,さらに静水圧をかけてもかなり高温で絶縁体となってしまい,金属状態は安定には存在しません。しかし,層間の方向(c軸の方向)に1軸性ひずみをかけると,非対称ドナー分子から成る有機超伝導体としては最高の転移温度である8.6 K (onset, under 10 kbar )で超伝導転移を起こします。さらに,別の方向(a軸およびb軸の方向)に1軸性ひずみをかけると,超伝導を示さないかわりに別の電子状態が出現します。この系の特徴は,金属錯体アニオンとドナー分子が -I…NC-相互作用を介して超分子的に集積している点で,これが特異な1軸性ひずみ効果に関連していると考えられます。
四面体型閉殻カチオンMe4Z+, Me2Et2Z+ (Z=P, As, Sb)を対カチオンとする一連のPd(dmit)2系アニオンラジカル塩は,いずれもカチオンとアニオンのモル比が1:2で,結晶学的に同形(空間群:C2/c)です。単位格子は映進面で関係づけられた2枚のアニオン伝導層(Layer 1と2)を含み,これらのアニオン層はカチオン層によって隔てられています。各アニオン層は,「強く2量化した」Pd(dmit)2アニオンが形成するカラムから構成されている。アニオンカラムは,Layer 1ではa+b方向へLayer 2ではa-b方向へ伸びていますが,いずれもb方向に沿って並んでいます。この系の電子構造は,2量体をユニットとする異方的三角格子モデルで記述できます。2次元的なhalf-filled HOMOバンドが伝導バンドを形成し,常圧では強い電子相関によって絶縁化したモット絶縁体です。
Me4As塩の場合,静水圧をかけても金属状態は安定には存在しません(下図左)。しかし,カラム間相互作用を増大させる方向(b軸)に1軸性ひずみをかけると,容易に金属化し超伝導を示します(下図右)。一方,aおよびc軸方向の(低い)1軸性ひずみの下では逆に絶縁体的振る舞いが増強されることもわかりました。これは,静水圧下でもb軸方向の1軸性ひずみ下でも見られなかった現象です。このような著しい1軸性ひずみ効果には,カラム間相互作用の増大によるバンド幅の増大と,2量体内の分子間相互作用の増大による実効的on-site Coulombエネルギーの増大等が,関与していると考えています。
参考文献