Pd(dmit)2錯体系

−ユニ−クな2次元強相関電子系−



1,2-ジチオレン金属錯体 M(dmit)2は ,硫黄を含む配位子(C3S5)2-が金属イオン(Ni2+,Pd2+,Pt2+等)と反応して形成され,πアクセプタ−として働きます。
この金属錯体は,多くの(ドナ−の)カチオンラジカルや閉殻カチオンと,電気伝導体を形成します。dmit錯体系は超伝導を示すものが多く知られていて,そのほとんどが ,圧力下で超伝導転移を示します。

これらのジチオレン錯体系伝導体の特徴は,有機部分である配位子が電気伝導の中心的役割を担っている点にあります。
この点は純粋な有機物からなる伝導体と共通ですが,金属イオンのd軌道も伝導バンドを形成するフロンティア軌道に寄与しており,金属イオンの性質の違いが電子構造に大きく反映されます。結晶構造は非常に多様ですが ,多くの場合,平面的なdmit錯体分子は ,分子面と分子面を向い合せて積み重なりカラムを形成します。

M(dmit)2分子のLUMOは ,金属イオンを境に位相が反転しています。
そのため ,分子面に平行な方向から接近した場合 ,対称性のためにLUMO間の重なり積分がキャンセルされる部分が生じます。したがって ,LUMO間の相互作用は ,横方向に密にパッキングしても強くありません。
これに対し,HOMOは対称的になっていて,横方向の分子間重なり積分は,LUMOの場合のように小さくなりません。また ,対称性の理由から金属イオンのd軌道(dxz)はHOMOに寄与しません。このため,HOMOとLUMOの間のエネルギ−差が小さいこともM(dmit)2分子の特徴です。

さて,Pd塩の構造的特徴は,Pd(dmit)2分子がPd-Pd結合によって二量体を形成する傾向が強い点にあります。
Ni(dmit)2分子にはこの様な傾向は見られません。これは,Pd-Pd結合がNi-Ni結合よりも結合距離が長く,二量化を妨げる配位子間の反発を小さくすることができるからです。
この二量体のエネルギ−準位について考えてみます。
HOMOおよびLUMOの準位は,二量化によってそれぞれ結合性,反結合性の準位に分裂します。この分裂の度合いが,HOMOとLUMOのエネルギ−差ΔEに比べて大きくなると,HOMOの反結合性軌道ψ+HOMOとLUMOの結合性軌道ψ-LUMOの準位とが逆転する場合がでてきます。Pd(dmit)2分子では,まさにそのような状況になっていることが,実験的に確かめられています。



この二量体がカラム状に積み重なると,HOMOとLUMOがそれぞれバンドを形成するわけですが,伝導バンドはLUMOバンドではなくHOMOバンドで形成されることになります。
多くの場合,Pd(dmit)2分子の形式電荷は-1/2で,この時HOMOバンドは“電子がちょうど半分だけつまった状態”となります。また,カラム間の相互作用が二量体間の相互作用と同程度であるため,このHOMOバンドは2次元的で,そのバンド幅はかなり狭くなっています。
ほとんどのPd(dmit)2系分子性導体は,常圧では絶縁体です。磁気的性質などから判断すると,この状態はモット絶縁体であると考えられています。これに圧力をかけると,容易に金属的振る舞いが出現し,あるものは超伝導体となります。
ところが ,さらに圧力をかけると,再び非金属的な振る舞いを示すようになります。以下に,一例として,β'-Me4Sb[Pd(dmit)2]2の電気抵抗の圧力依存性を示します。

当初,この現象については ,次の様な説明を行っていました。
圧力は主に二量体間の相互作用を強くします。つまり,二量化を弱めるように作用すると考えられます。すると,二量化によるHOMOおよびLUMOバンドの分裂は小さくなり ,また,バンド幅が広くなってきます。そして,ある圧力以上では,ψ+HOMOバンドとψ-LUMOバンドとが重なり,これら二つのバンド間で電子の移動が起こりψ+HOMOバンドはもはや“電子がちょうど半分だけつまった状態”ではなくなってきます(上図参照)。
これは自分自身でキャリアド−ピングを行っているようなもので,これが金属状態を実現させるというわけです。
しかし,さらに圧力をかけると,フェルミ準位におけるψ-LUMOバンドの成分が大きくなってきます。先程述べたようにLUMOバンドは,大きな異方性を持っていますから,高圧下では1次元金属の不安定性が現れる可能性が大きくなってきます。

しかし,最近の圧力下におけるX線単結晶構造解析の結果,少なくともβ型塩では,圧力下でも伝導バンドはHOMOバンドで,上で述べたようなHOMO-LUMOバンドの重なりは起こらないことがわかってきました。現在,新しいモデルを検討中です。
さらに興味深いことに,圧力下における電気抵抗の挙動は,対カチオンのサイズと形状によって大きく変化します。この時,基本的な結晶構造は変わっていませんが,Pd(dmit)2の分子配列(特に二量化の度合い)は少しずつ変化しています。強結合近似のバンド計算を行うと,分子間相互作用の変化が,電子構造の次元性に大きく影響することがわかります。そして,二量化の強い系ほど2次元性が強く,高圧金属相が現われやすいという一般的傾向が見られます。
このことは,このユニークな2次元強相関電子系のモデルを考える上での重要なヒントと考えています。


参考文献
R. Kato, Y-L. Liu, H. Sawa, S. Aonuma, A. Ichikawa, H. Takahashi, and N. Mori, Solid, State Commun., 94, 973 (1995).
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S. Rouziere, J. Yamaura, and R. Kato, Phys. Rev. B, 60, 3113 (1999).



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